週報サブレー

日記・私信

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まぬまのにえにえ

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 一日に二度ほめられる事があった。一人は髪型をほめてくれ、もう一人は仕事をほめてくれた。どうして女の人は、あのように良きタイミングで良い感じにほめてくれるのだろう。うれしくなって歌ったりしている。
 このようなことを人に話すと、「お世辞である」と教えてくれる。今回ほめてくれた人はお世辞を言うような人柄ではなかったが、仮にお世辞を言うような人にお世辞を言われたとしよう。それでも良いではありませんか。何故ならそれでもうれしくなっちゃうから!Q.E.D.!
 「お世辞を真に受けて調子に乗り、内心呆れられるかもしれない。」という意見もある。また「お世辞とは本心ではなく、本当に心から言ってくれた言葉のみが大事なのだ。」という意見もある。これらの複雑な大人のルールは、35歳の大きい子供にはまだ早いのである。難しいから。今回はテストの範囲でないから覚えなくて良いのである。子供のルールはずばり、「ほめられる→うれしくなっちゃう!」である。子供は子供のルールでほめあっていれば、みんなうれしくなっちゃって、長い目で見れば世界平和への小さな一歩となるのではないか。ならないかな。
 結論としては、みんな私の事を遠慮なくほめてくれて良いのだ、とういう事である。あまりにも誰もほめてくれないからおかしいとは思っていたのだ。私は恩には報いるので、必ずや別の機会にあなたの事をほめ返すであろう。ほめる事がなければお世辞を駆使してほめるのでその点も心配御無用なのである。

 これもまたうれしい事なのだが、最近ホラー映画が観られるようになってきた。
 このうれしさを表すには、まず私がどれだけホラー映画を恐れているかという話をしなければならない。私が学生だった頃、世は和製ホラームービー全盛であった。ホラー映画を全く観たことがない私でさえも、「それだけはやっているなら、ぜひ観てみよう。」と思ってビデオを借り、友人と二人で夜中に見始めたのである。ところが映画が始まって一時間経ったあたりで、その友人が「なんだか眠い、我慢できない・・・・・・。」と言ったきり眠ってしまい、揺すってもさすっても起きなくなってしまったのである。「これはアレだ。」と私は思った。「再三怪談話で聞いてきたアレだ。どう見てもアレだ。」と思った。「終わった。ここで終わった。」とも思った。しかし幸いおばけは出ず、ただ映画が怖いだけで済んだ。それ以来ホラー映画とは関わるまいと心に決めて生きていた。今でもうっかりテレビでホラー映画の予告など見てしまうと、一人で震えて過ごし、おいさんが帰るなり飛びついて「おばけが怖かったからすごく待ち遠しかった!」と訴え、「おばけが怖い?・・・・・・おばけが怖い?」と二度聞き返されるような有り様なのだ。話は逸れるが、おばけが怖いという自分は、結局は人間が小さいように感じる。ろくな死に方をしない自覚があるのだ。「おばけはいないし、いたとしても怖くない」という人の方が悟りが感じられてかっこいい。私はどんなに複雑で多面的な問題をはらんだ事象も、「かっこいい・かっこよくない」という下衆な二元論に落とし込む特殊能力をそなえているので、このようなことばかり考えている。

 それはさておき、ホラー映画には世間で名作と言われるものも多いのに、見ずにいるのももったいない気がして、少しずつ慣らしてみようと思った。スティーブン・キング関連から始まって、おばけは出ないが精神的に負担の大きそうなラース・フォン・トリアー監督や園子温監督作品、コメディ色の強いゾンビ、初期ロメロゾンビ、悪魔のいけにえ、まで見られるように成長できた。自分としてはとても満足である。なぜ満足かというと、ナイト・オブ・ザ・リビングデッドと悪魔のいけにえはニューヨーク近代美術館に所蔵されていると聞いたので、見ないで死ぬのはもったいない気がしたからである。権威のお墨付きに弱いこの生き様を篤とご覧あれ!
 何にせよ、練習にと思ってみた作品もどれもとても面白かった。自分で目標を立ててこつこつと頑張る事がほとんどないので、充足感でいっぱいだ。

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  1. 2014/03/04(火) 11:48:53|
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